「だったら、自分でやるしかない」——瀬戸内海の映像を撮り始めたきっかけ

撮影のきっかけと原点

私はCOVID-19によるパンデミックの最中、タイ王国バンコクで働いていました。私が暮らしていたのは、バンコクにある42階建ての高層コンドミニアム。その23階の部屋を、中華系タイ人のご夫婦から借りていました。日本でいうところのワンルームでしたが、バンコクにあるコンドミニアムの中ではとても珍しい木製フローリングの落ち着いた部屋で、とても気に入っていました。

部屋からの景色こそ隣の高層オフィスビルに遮られていましたが、屋上のフィットネスルームやインフィニティプールからは、バンコクの中心街・Chit Lomの街並みが一望できる場所でした。プールはパンデミックの影響で1組1時間だけの限定使用にも関わらず、ほとんど貸切状態で、静かに泳ぐことができたのを覚えています。

当時、私が住んでいた23階の部屋
42階にあったインフィニティプール

パンデミックの影響で外出が制限されていたあの頃。毎日、心がすり減るような感覚を抱えていました。仕事では人間関係に悩み、精神的な限界を感じていました。SAMITIVEJ病院に通う日々。胃腸を壊していたのも、ストレスのせいだったと思います。

そんな中、唯一の楽しみだったのが、YouTubeで世界中の美しい映像を観ることでした。そして体を動かすこと。屋上で縄跳びをしたり、トランポリンで汗を流したり。毎週末、誰もいないインフィニティプールで泳ぐ時間は、精神を保つ大切な時間でした。

当時よく観ていたYouTubeチャンネルは、「The Flying Dutchman」「UNERDRIVER4K」「Seoul Walker」「Scenic Relaxation」といった海外制作の映像チャンネル。いずれも高品質な映像と美しい音にこだわっていて、観ているだけで心が落ち着くものでした。

しかし、不思議なことに「日本の風景」で同じようなクオリティの映像には出会えませんでした。Seto Inland Seaと英語で検索しても、出てくるのはドローンを左右に回すだけの簡単な映像や、波音だけの長時間録音ばかり。たしかに再生数はそれなりにあるのですが、私の目には「もっと綺麗に撮れるはずなのに」と映りました。

その時、ふと思ったのです。「ないなら、自分でやるしかない」と。

私は瀬戸内海にある直島の美術館で働いていたことがあります。世界中から観光客が訪れ、そのほとんどが「素晴らしい景色だ」と言ってくれていたのを、今でも覚えています。日本人の私から見ても、瀬戸内海の風景は四季によって全く表情が変わり、見飽きることがありません。

母の生まれた島・小与島もまた、私にとって特別な存在です。そうした瀬戸内の風景は、ただ綺麗なだけではなく、「記憶」や「感情」に訴えかけてくる何かがあると感じています。

Hiroshi Sugimoto – Seascapes, Benesse House Museum
李禹煥美術館から瀬戸内海を望む
Shinro Ohtake – Shipyard Works : Stern with Hole
母の生まれ故郷の小与島の隣にある与島から撮影

最初に始めたチャンネルは「Setouchi Relaxation Films」でした。ドローンで撮影した美しい景色と音楽を組み合わせた、癒しの映像コンテンツ。しかし、うまく運営することができませんでした。初めての挑戦だったこともあり、動画の見せ方や視聴者のニーズを掴みきれなかったのです。

その後、コンセプトを一新し、「Setouchi Ambience」として再出発。視聴者にとって“実益”がある映像——つまり、ただ観るだけではなく「眠れる」「落ち着ける」といった目的を持った映像を意識するようになりました。

雨音、風の音、鳥のさえずり。瀬戸内海の静かな風景と音を届けることが、きっと誰かの役に立つ。そんな思いで、今日も私はカメラを手にしています。

実は、私が撮影時に今でも意識していることは、かつての私のように、海外で日本の風景を恋しく思っている人たちです。

瀬戸内海に面した街で生まれ育ち、今は遠い国で暮らしている人が、私の動画を見て懐かしんでくれるとしたら。あるいは、ストレスの多い都市生活の中で、ほんのひとときでも心が癒されるなら。

そう思って、今日もカメラとマイクを持って、雨の中を歩いています。

Vol.2へ続く。

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