― 40歳から始まった新しい挑戦 ― Vol.4:直島で働いて見えた“世界” ― 英語とアートが交わる場所で

ベネッセハウスオーバルから瀬戸内海を望む。 My Story / 人生の転機
6月撮影。直島に行くなら、梅雨前が最も過ごしやすいと思います。気温、湿度、混雑具合が最もベストな時期。

多くの外国人が「Where is the Oval?」と尋ねるのですが、私にはそれが「オーボー」や「オーヴォー」のように聞こえて、何度も聞き返してしまいました。
(※“Oval”=楕円形の意味を持つ英単語で、ベネッセハウス内の宿泊施設名です。)

ベネッセハウスオーバルから瀬戸内海を望む。
当時撮った写真の中で最もお気に入りの写真。この写真を2016年にスマートフォンの待ち受け画面にして以降、2025年現在まで一度も待受画面を変えたことがありません。

「この作品は何を表しているのか?」
「なぜこの素材なのか?」
「この空間で展示される意味は?」

お客様の人数は日によって異なり、2~30人ほど。
人前で話すことには慣れていたので、緊張よりもワクワクの方が大きかったです。
美術館の空間を歩きながら、作品の背景を語り、アーティストの意図を伝える――その時間がとても楽しかった。

ツアーの後、お客様から高評価のアンケート(Survey)をいただいた時は、本当に嬉しかったです。
そのアンケート(Survey)は今でも大切に保管しています。

ヤニス・クネリス「無題」
ヤニス・クネリス「無題」。直島にしかない作品であるサイトスペシフィックワークの1つ。私が引率したツアーでは、参加者の皆さんにチケットに掲載された初期の作品の写真と、20年以上経った作品の形状を比較してもらった。そうすると参加者から驚きの声が挙がっていた。

当時は「異動させられた」とは気づかず、むしろ新しい経験になると前向きに受け止めていました。
本村では新しい作品や歴史的建造物を扱うことが多く、知識も広がりました。
同時にミュージアムツアーも兼務していたので、仕事には満足していました。

そんな頃、再び人間関係のトラブルも重なり、私は転職を考え始めました。
東京ではすでに働いた。地元では直島以上の職場はない。そう思った時、心の奥から小さな声が聞こえました。

「人生は一度きり。海外で働いてみよう。」

英語を学んできた理由も、世界中の人と接してきた経験も、すべてはこのためにあったのかもしれない――。

私は求人サイトで海外勤務の企業を検索し、その中で見つけたマレーシアの外資系企業に応募しました。すると、数日経った後に書類選考通過の通知が届きました。
まさか自分が海外企業から採用されるとは思ってもいなかったので、本当に驚きました。

その後、電話面接を経て、正式に内定を獲得。
いよいよ、マレーシアへの渡航準備が始まります。

次回のVol.5では、マレーシアで迎えた新生活、特にマレーシア移住で大変だったこと(生活篇)についてを綴ります。

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