世界の人々が訪れる小さな島へ
2017年の春、私は香川県の直島にある「ベネッセハウスミュージアム」で働き始めました。
この美術館は、世界的な建築家・安藤忠雄さんが設計した施設で、ホテルと美術館が一体となったユニークな空間です。
当時からすでに世界中から多くの観光客が訪れており、まるで地中海のリゾート地のような国際色豊かな雰囲気が漂っていました。
主な仕事は、美術作品の監視業務、館内清掃、作品の簡易メンテナンス、そしてチケット販売。
中でも最も外国人と会話する機会が多かったのが、チケット販売でした。
ここで私は、毎日何ヵ国もの人々と英語で会話することになります。
世界各国からの来館者たち
直島に通うようになって驚いたのは、その多様さでした。
アメリカやフランスなどの現代アートの本場はもちろん、スロベニア、コロンビア、アルゼンチンといった国の人々も訪れていました。
ある日はロシアからの団体客、別の日はターバンを巻いた中東からやってきたVIP。
この小さな島が、まさかこんなにも世界とつながっているとは思いもしませんでした。
ホテルの宿泊客の中には、世界的な著名人も滞在していたそうです。
自分の故郷・香川県に、こんなスケールの大きな空間があったなんて――。
そのことを知ったとき、私は静かな感動を覚えました。
英語での接客、最初の壁
とはいえ、最初からスムーズに英語が理解できたわけではありません。
たとえば、ベネッセハウスミュージアムには「オーバル(Oval)」と呼ばれるホテル棟があります。
この「オーバル」はケーブルカーで山の上に移動して行く特別な宿泊エリアなのですが、当時の私にはその発音が聞き取れなかったのです。
多くの外国人が「Where is the Oval?」と尋ねるのですが、私にはそれが「オーボー」や「オーヴォー」のように聞こえて、何度も聞き返してしまいました。
(※“Oval”=楕円形の意味を持つ英単語で、ベネッセハウス内の宿泊施設名です。)
しかし、毎日英語で応対していると、次第に耳が慣れ、反射的に返せるようになっていきました。
英語を学ぶというよりも、英語の中で生きるという感覚に近かったように思います。

現代アートに魅せられて
直島で働く目的は、当初“英語を使うこと”でした。
しかし、次第に私は現代アートそのものに強く惹かれていきました。
作品を毎日目にするうちに、アーティストの思想や創作背景に興味を持つようになったのです。
「この作品は何を表しているのか?」
「なぜこの素材なのか?」
「この空間で展示される意味は?」
調べれば調べるほど、現代アートが持つ“問いかけ”の深さに心を奪われました。
ある日、私は上司に「ミュージアムツアーのガイドを担当させてください」とお願いしました。
ミュージアムツアーのガイドへ
当時のベネッセハウスミュージアムでは、毎日17時から日本語版と英語版のミュージアムツアーを開催していました。
もちろん、私の英語力では英語ツアーを任されることはありませんでしたが、日本語ツアーのガイドを担当させてもらえることになったのです。
お客様の人数は日によって異なり、2~30人ほど。
人前で話すことには慣れていたので、緊張よりもワクワクの方が大きかったです。
美術館の空間を歩きながら、作品の背景を語り、アーティストの意図を伝える――その時間がとても楽しかった。
ツアーの後、お客様から高評価のアンケート(Survey)をいただいた時は、本当に嬉しかったです。
そのアンケート(Survey)は今でも大切に保管しています。
ツアーガイドをしてくださった方へ
ベネッセハウスミュージアムの作品に対する思い入れの深さを感じたツアーでした。お話しされている時の話ぶりがとても生き生きしていて、私たちもワクワクしながらお話を聞くことができました。
(2018年3月に宿泊されたお客様からいただいたアンケート(Survey)より)
(※現代アートについては語りきれないほどのエピソードがあります。後日、別の記事で詳しく書こうと思います。

異動、そして次のステップへ
しかし、どんな職場にも転機は訪れます。
私は人間関係がうまくいかず、上司の判断で異動を命じられました。
異動先は直島の本村(ほんむら)エリアにある「家プロジェクト(Art House Project)」でした。
当時は「異動させられた」とは気づかず、むしろ新しい経験になると前向きに受け止めていました。
本村では新しい作品や歴史的建造物を扱うことが多く、知識も広がりました。
同時にミュージアムツアーも兼務していたので、仕事には満足していました。
けれど、日々海外のお客様を案内しているうちに、「毎日同じ英語を話しているな」と感じるようになりました。案内のセリフが自分の中でパターン化し、刺激が薄れていったのです。
もう一度、外の世界へ
そんな頃、再び人間関係のトラブルも重なり、私は転職を考え始めました。
東京ではすでに働いた。地元では直島以上の職場はない。そう思った時、心の奥から小さな声が聞こえました。
「人生は一度きり。海外で働いてみよう。」
英語を学んできた理由も、世界中の人と接してきた経験も、すべてはこのためにあったのかもしれない――。
私は求人サイトで海外勤務の企業を検索し、その中で見つけたマレーシアの外資系企業に応募しました。すると、数日経った後に書類選考通過の通知が届きました。
まさか自分が海外企業から採用されるとは思ってもいなかったので、本当に驚きました。
その後、電話面接を経て、正式に内定を獲得。
いよいよ、マレーシアへの渡航準備が始まります。
次回のVol.5では、マレーシアで迎えた新生活、特にマレーシア移住で大変だったこと(生活篇)についてを綴ります。



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