トレーナーとして仕事を続けていた頃、私は自分でも気づかないうちに、限界を越えていたのだと思います。
担当していた2クラス目の研修が進んでいたある日、帰宅してシャワーを浴びた際、脇腹に赤い湿疹が広がっていることに気づきました。同時に、強い倦怠感と発熱もあり、体温を測ると39度近くまで上がっていました。
それでも、翌日は出社しました。
理由は単純で、「自分はトレーナーだから」という責任感があったからです。
日本から持ってきていた風邪薬を飲み、早めに寝て、なんとか出社できる程度までは回復しました。ただし、声がほとんど出ませんでした。その日は、新入社員に直接話しかける代わりに、教室前方のモニターに文字を映し出してコミュニケーションを取る、という方法で授業を進めました。
幸いにも、その日はトレーナーが話す場面が少ない内容だったため、大きな混乱は起きませんでした。声は翌日から少しずつ戻ってきました。
この様子を見ていた先輩トレーナーとインド人上司は、私が「明らかに疲れている」と判断したのでしょう。新入社員が実践研修へ移行し、トレーナーの役割が一段落したタイミングで、インド人上司からこう言われました。
「休暇を取ってほしい。お願いだから、しっかり休んでくれ」
こうして私は、9連休を取ることになりました。
なぜ、休暇に過ごす場所としてバリ島を選んだのか
当時、私はマレーシアという国際的なハブ空港を持つ国に住んでいました。せっかくこの場所にいるのだから、有名なリゾート地へ行ってみたいと思い、Expediaのアプリで航空券と宿泊費を調べ始めました。
バリ島、ドバイ、いくつかの候補を見比べた結果、最終的に選んだのはバリ島でした。理由はシンプルで、費用が驚くほど安かったからです。
5泊ほどの五つ星ホテルの宿泊費と往復航空券を合わせても、7万円台。迷う理由はありませんでした。

また、当時勤めていた会社とは別の企業で働いていた、日本人の知人がインドネシアに詳しく、彼から色々と話を聞いていました。その中で、Webで知った「Lembongan島」という島に、私は強く興味を持つようになっていました。
実は、完全な海外一人旅だった
振り返ってみると、この旅は私にとって「完全な海外一人旅」でした。
マレーシアへ渡航した際も、関西国際空港から一人でクアラルンプール国際空港へ行きましたが、その後は会社が手配したタクシーで住居まで移動しました。
しかし今回は違いました。
出発地は英語圏、到着地はインドネシア語圏。移動から宿泊、現地での行動まで、すべて自分一人で判断する旅でした。道中で使用する言語は英語のみです。
行程は次の通りです。
- クアラルンプール国際空港から737クラスの小型機でNgurah Rai空港(Denpasar国際空港)へ。
- 配車アプリ(Gojek)を使い、バイクタクシーで The Magani Hotel and Spa(Kuta/Legianエリア) へ。
- ホテルでのチェックインや手続きは、すべて英語で会話します。
ホテルにチェックインし、クイーンサイズのベッドに寝転んだ瞬間、私ははっきりと感じました。
「ああ、身体の疲れが少しだけ軽くなっていくな」と。
この感覚は、今でもよく覚えています。


バリ島で出会った「Andy」という男性
最初の数日は、Kuta周辺やLegianビーチを歩いて過ごしました。
バリ島の第一印象は、「行ったことはないけれど、沖縄のようだな」というものでした。
そんなある日、Legianビーチへ向かおうとしたとき、ビーチの入口で突然、日本語が聞こえてきました。
声の主は、インドネシア人の男性「Andy」。
彼は日本語を独学で身につけ、日本で有名なタレントとも面識がある人物でした。

私は以前から、Uluwatu寺院でのKecak(伝統舞踊)を見たいと思っていましたが、Andyはこう言いました。
「UbudのKecakの方がおすすめですよ」
実はその言葉を聞いたとき、私は少し迷いました。しかし同時に、Ubudという場所に強い興味も湧いてきました。理由は、私の前職にあります。私はかつて、瀬戸内海にある直島の美術館で働いていました。その経験から、旅先でも自然と「その土地の美術館」を観てみたいと思う習慣がついていたのです。
そのことをAndyに話すと、彼は「それなら、ぜひ行くべき場所がある」と言い、Ubud近郊にあるNeka美術館を勧めてくれました。



相場的にも良心的な料金を提示してくれたこともあり、私はAndyにガイドとドライバーをお願いすることにしました。
こうして、単なる観光ではなく、「自分のこれまでの仕事とつながる旅」として、Ubudへ向かうことになったのです。

Lembongan島で感じた、瀬戸内海との不思議な共通点
滞在中、私は日帰りでLembongan島を訪れました。Andyと一緒にUbudへ行くのはLembongan島へ行った日の翌日を予定していました。
Sanurから船で向かうのですが、その道中は、瀬戸内海はもちろん、太平洋でもなかなか経験しないほどの荒波でした。最初は欧米人の観光客と一緒に盛り上がっていましたが、途中からは全員、無言になっていました。

Lembongan島ではバイクをレンタルし、人生で初めてノーヘルメットでバイクを運転しました。マングローブツアーには参加せず、島の空気感を味わうことを優先しました。



島の西側にある Jungutbatu ビーチ に面した、フランス人経営のレストランに立ち寄ったときのことです。干潮時の遠浅の海を見た瞬間、私ははっきりと思いました。
「瀬戸内海みたいだな景色だな」
遠浅の海、磯の匂い。
直島にある琴弾地(ごたんぢ)海水浴場と、驚くほど似ていました。
その瞬間、私は間違いなく瀬戸内海、そして直島を思い出していました。


信頼とは何かを教えてくれた、Andyの言葉
Ubudへ向かう道中、Andyの運転する車の窓から見える景色も、どこか香川県の田舎道に似ていました。
旅の最後、料金を支払うとき、私は正直こう思っていました。
「きっと、最初に決めた金額より高く請求されるだろう」
しかし、Andyが請求してきたのは、最初に交渉したそのままの金額でした。
理由を聞くと、彼はこう言いました。
「日本人のお客さんは、約束を大事にします。だから、私は料金を釣り上げません。そうすれば、またバリ島に来たとき、僕を頼ってくれます。結果的に、僕も得をするんです」
この言葉に、私は心から感動しました。
とても日本的であり、同時に、商売の本質を理解している人だと感じました。



この旅が教えてくれたこと
この9連休の旅は、単なる気分転換ではありませんでした。
心と身体が限界を迎えていた自分を、一度、仕事の現場から切り離し、「自分はどこに向かいたいのか」を静かに考える時間でした。
そして、この経験は、次の大きな決断へとつながっていきます。
次回予告
次回の記事では、パンデミックの気配が忍び寄る中、私がなぜタイ・バンコクの日系企業への転職を決意したのか。
ビザ取得、渡航計画、そして世界が大きく変わる直前の日々について書いていきます。

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