半年間の失業手当と“英語漬け”の日々
失業手当の支給が始まったのは10月。
そこから6ヶ月間、私は積極的に仕事を探すこともなく、ひたすら英語の勉強に没頭する日々を過ごしました。
「いまの自分にできることは、この半年でどれだけ英語力を伸ばせるか」――その思いだけで毎日を動かしていました。
図書館を転々としながら、朝から夜までTOEICの公式問題集に向き合いました。
坂出市、飯山町、宇多津、高松、善通寺……机の上にはいつも同じ教材。
リスニングの日はポータブルCDプレーヤーを使い、リーディングの日はひたすら英文を目で追いかけました。
半年間で解いた問題集は10冊を超え、試験も2回受験。1回目は550点、2回目には645点を獲得できました。
努力が数字として見えると、少しだけ未来が明るくなった気がしました。
「雇われる力」との出会い
そんなある日、本屋で一冊の本が目に止まりました。
元リクルート社員・藤原和博さんの著書『10年後、君に仕事はあるのか?』です。
その中には、「これからの時代に必要なのは“雇われる力”だ」という言葉がありました。
つまり、自分のスキルをどんな環境でも活かせる“汎用性”を持つことこそが、未来の働き方だという考え方です。
ページをめくるごとに、胸の奥で何かが動くのを感じました。
私は長年、企業の中で広告を作る「職種」に縛られていた。
しかし、これからは「どんな環境でも通用する人間」にならなければいけないと思ったのです。
“英語を使う仕事”を探し始めた日
失業手当の制度上、定期的に求人へ応募する必要があります。
そこで、いくつかの求人の中から応募したのが、県内のレジャー施設の広報職でした。
面接も順調に進み、最終的には採用まで進みました。
しかし、面接官の方に「海外からのお客様はどれくらい来られますか?」と尋ねると、返ってきたのは「アジアの方がほとんどですね」という答えでした。
「ちょっと違うかな・・・」と思いました。
私はもう、“地元だけを相手にする仕事”に戻る気はありませんでした。
せっかく半年間、英語を学んできたのだから、英語を実際に使う仕事に挑戦したかったのです。
「そうだ、直島があるじゃないか」
求人サイトを眺めながら、ふと頭に浮かんだのは瀬戸内海に浮かぶ島――直島でした。
「そうだ、香川にも世界とつながっている場所があるじゃないか」と。
とはいえ、当時の私は直島についてほとんど知識がありませんでした。
アートの島としては知っていたけれども、海外から多くの観光客が訪れていることはまったく知らなかったのです。
それでも調べていくうちに、私の中で何かがはっきりと形になっていきました。
ベネッセハウスミュージアムの求人募集欄に書かれていたのは、
「美術館監視員」「館内案内」「外国人来館者への対応」――まさに英語を活かせる仕事。
しかも香川県内で、世界中から人が訪れる場所。これ以上ない理想の職場に思えました。
38歳、アルバイトスタッフ(パートタイム勤務)への決断
ただ一つ、心に引っかかる点がありました。
それは「雇用形態:アルバイト(パートタイム勤務)」という文字です。
38歳でアルバイト(パートタイム勤務)として働く――正直に言えば、勇気が必要でした。
以前、内定をもらったレジャー施設の広報職は正社員。安定を捨てる決断をしなければいけませんでした。
それでも私は、迷いを振り切りました。
「キャリアを守るよりも、未来を広げたい」
「英語を“使える”人間になれば、次の扉はきっと開く」
そう信じて、応募ボタンを押しました。

新しい海への出発
面接を経て採用が決まり、4月から私はベネッセハウスミュージアムのアルバイトスタッフ(パートタイム)として勤務することになりました。
毎朝、フェリーに乗って直島へ通う生活が始まります。
安藤忠雄さんが直島で一番最初に設計した美術館、穏やかな瀬戸内海、潮風――
その全てが、半年間の努力が導いた“新しい人生の始まり”のように感じられました。
次回のVol.4では、直島の美術館で実際に働いた日々を振り返ります。
外国人観光客との出会い、現代アートの現場で感じた学び、そして英語を“実際に使う”ことで見えた新しい景色についてお話しします。



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