― 40歳から始まった新しい挑戦 Vol.7 ― マレーシアで気づいたこと。「人を育てる」というのは、想像以上に苦しくて、でも逃げられない仕事でした。

Abdullah HukumからKerinchi方面を撮影。2019年3月22日。 My Story
Abdullah HukumからKerinchi方面を撮影。2019年3月22日。

マレーシアの外資系企業でトレーナーに昇進した私は、当時、天にも昇るような気持ちでした。
40歳を過ぎてから独学で英語を学び、海外企業で結果を残し、ついに認められた――自分の人生がまた一段階進んだような気がしていました。

しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。
昇進の喜びは長く続かず、ここから私は 失敗と孤独と葛藤 の真っ只中に落ちていきます。

けれど、この章で書く経験こそが、のちに私の「人材育成」に対する考え方を根本から変え、人生の方向まで変えていく大事な学びとなりました。

内示が出た時、私は昇進することが嬉しくて、余計なことを話してしまいました。
「ついにトレーナーになれる!」
その気持ちが抑えられず、すぐに同じ時期に入社した同僚に話してしまったのです。

しかし、海外企業といえど、日本人を大量に雇用している職場は 限りなく日本人社会 に近いです。
誰が誰と仲が良いか、誰が何をしたか、誰が誰を好きか…そんな噂が秒速で広がる世界。

案の定、私はすぐに日本人マネージャーに呼び出され、就任前から厳しく叱られてしまいました。

この時、私は痛いほど理解しました。

「海外で働く=日本社会からの脱出」ではない。
日本人が集まれば、そこに“日本の文化”が持ち込まれる。

これは、私が最初に味わった苦い現実でした。

次に待っていたのは、私が最初に受け持った新入社員4名のクラスです。

私は「トレーナーならもっと知識を持っておかなければ」と焦りながらも、どこかで気が抜けていたのかもしれません。さらに追い打ちをかけたのが、先輩トレーナーの言葉です。

「研修のスコアが基準に達しなければ、その新人はクビになる。」

今振り返ると、この言い方にも問題があったと思います。
ただ、そのときの私は、その言葉をそのまま信じてしまいました。

そして、「この新入社員をクビにさせたくない」という焦りから、パソコン操作が苦手な新入社員に対して、必要以上に厳しく接してしまったのです。

「どうしてできないの?」「ここまでは最低限、できないとダメだよ」

言っていること自体は、間違ってはいなかったのかもしれません。
でも、“言い方”と“タイミング”と“距離感”が、完全に間違っていました。

その新人は、私には何も言いませんでした。代わりに、マネジメント層に直接、不満を伝えた のです。

結果、私は“指導が行き過ぎたトレーナー”として扱われ、その新人に謝ることになりました。

あのときの、「自分は、守ってあげたいと思っていたのに、逆に追い詰めてしまったんだ」という感覚は、今でもはっきり覚えています。

「正しさ」を盾にした指導は、人を育てない。相手の恐怖心しか育てない。

そして何より、これは 私自身が「クビにさせたくない」という恐れに支配された結果の指導だった のです。

会社はそれでも、私にチャンスをくれました。
次に任されたクラスは、たしか18人くらいでした。
「ここで結果を出せれば」と、私も気持ちを切り替えようとしていました。

ところが、少し気が緩んだある日、私は 絶対に口にしてはいけないこと を、その新入社員たちに話してしまいました。

それは、私が以前ルームシェアでトラブルになった同僚の話。
新入社員にとっては“会社の先輩”にあたる人です。

彼らからすれば、まだ会ったこともない先輩。
その人にとってマイナスになる話を、新人の前でしてしまったのです。

これが、また大きな波紋を呼びました。

再び日本人マネージャーから厳しい注意。そして、徐々に私は トレーナーチームに馴染めない存在 になっていきました。

当時のトラブルの様子はこちらの記事に記載しています。

同じトレーナーとして働く日本人は、2人いました。
2人は仲が良く、よく一緒に行動していましたが、そこに私が加わることはほとんどありませんでした。

雑談の輪に入っていけない。
昼食に誘われる機会も少なくなっていく。
何かあれば、私がいない場所で話が進んでいる。

静かに、でもはっきりと、私は 孤立 していきました。

後になってから、別の同僚にこう言われました。

「日頃からあなたを見ていて、あなたがいつも一人きりでいるのは分かっていた。
でも、どう声をかけていいか分からなかった。」

正直、その言葉を聞いたとき、うれしい気持ちと、少し悔しい気持ちが、同時に込み上げてきました。

孤独の中で、私に手を差し伸べてくれたのが、トレーナーとしては経験豊富なインド人上司でした。彼の年齢は私より若かったけれど、頼りになる存在でした。

彼とは英語でしか会話ができません。でも、私の拙い英語を、彼はいつも真剣に聞いてくれました。

ある日、彼はオフィスの窓から外を指差しながら、こう言いました。

「Nakamura-san、あの食堂を見てごらん。
あそこでランチをしている人たちは、今日も誰かの悪口を言っている。
その“悪口”を、あなたは止められるかい? きっと無理だ。
だから、そんなものを気にする必要はないんだよ。」

別の日には、こんな話もしてくれました。

「マレーシアの朝の渋滞、見たことがあるだろう?
あれは、誰も本気で変えられない。
だから、怒っても意味がないんだ。
自分の力で変えられないものは、気にしすぎない方がいい。」

これらの言葉は、日本で管理職に相談しても、なかなか返ってこない種類のアドバイスでした。

とてもシンプルで、でも本質を突いていて、「自分を責めすぎなくていい」と、背中を押してくれる言葉でした。

ただ、それでも現実の職場環境が変わるわけではありません。

  • 新人からの不満の声
  • 人伝てに聞こえてくる陰口
  • 自分のやり方に自信を持てない日々
  • そして、思ったほど増えなかった給与

インド人上司がどれだけ支えてくれても、「ここで長く働き続けていくイメージ」 は、なかなか持てませんでした。

気がつくと私は、

「自分は、本当に“人を育てる側の人間”に向いているのだろうか」

と、自分自身に問い続けていました。

そんな時、インド人上司から言われたのです。

「新入社員の受け入れるトレーナーが足りない。もう一度、やってもらえないか?」

私は少しだけ迷いましたが、すぐに心の奥底でやる気が出てきました。

「これが最後のチャンスだ。今度こそ、心から人を育ててみたい。」

そして私は、これまでと180度違う方法――
相手の価値観を先に受け入れる指導法 を徹底することにしました。

怒らない。
否定しない。
どんな小さな進歩も見逃さず、褒める。

そうやって接した結果――

◆ 新入社員全員が、研修の目標値を達成した。

これまで誰も達成できなかった目標を、「チーム全員で」達成できたのです。

私はこの時、はっきりと理解しました。

人を動かすのは「恐怖」ではなく、「承認」だ。
指導する側が変われば、相手も変わる。

この経験は、その後のバンコクでの転職面接でも大きな武器になりました。

この最後のクラスへの研修を通して、私はようやく理解しました。

マネジメントは、「自分のやり方を押しつける仕事」ではない。
ましてや、「自分の正しさを証明する仕事」でもない。

やるべきことは、たったひとつ。

「相手の価値観を、まずは受け入れること。」

そのうえで、

  • どこを伸ばせるか
  • どこなら頑張れそうか
  • どこで理解できていないのか

それを一緒に探していく。

日本の多くの会社は、「最も成果を上げた営業社員をそのまま管理職にする」という文化が根強くあります。

でも、最も成果を上げた社員は往々にして、「自分のやり方が絶対に正しい」と信じています。

その思考のままマネジメント側に立てば、「なんでこんなこともできないんだ」という苛立ちが、すぐにパワーハラスメントにつながっていきます。

私はマレーシアで、人を育てる現場の中で、自分の失敗を通して、それがどれほど危険かを知りました。

だからこそ、この記事を読んでいる、今まさにマネジメント側に立っている人に伝えたいのです。

まず、“その人のやり方”を見てみませんか。
いったん、受け入れてみませんか。

その一歩からしか、本当の意味での「育成」は始まらないと、今は思っています。

次の記事では、トレーナー職として心身ともに追い込まれていた私が、9連休の休暇を取り、初めての海外一人旅として訪れたバリ島で、「自分を取り戻す時間」を過ごした出来事について書こうと思います。

Lembongan島で感じた海の匂いと、瀬戸内海を思い出した、あの瞬間のことも含めて——。

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