50歳からの挑戦:私が直島でAirbnb体験のホストを始めることにした理由

50歳からの挑戦はAirbnb体験のホスト 50歳からの挑戦(Challenge from 50)
2025年12月、Airbnb体験をスタート。airbnb.jp/x/naoshima-art-tour

私は49歳で、思いがけない道へ踏み出すことになりました。
それは “アートの島・直島を案内するAirbnb体験ガイド” という仕事です。
始まりは小さな会話からでしたが、気づけばYouTube、Uber Eats、直島での仕事の経験が一本の線でつながり、自分でも驚くほど自然にこの挑戦へ向かっていきました。

私は数年前から、瀬戸内の景色や自然音を撮影した映像をYouTubeで発信してきました。
規模としては控えめなチャンネルではあるものの、「自分の人生を変えたい」「世界の誰かに瀬戸内を感じてもらいたい」という思いで続けてきました。

Setouchi Ambience
Welcome to Setouchi Ambience — a channel born from a personal journey to rediscover peace through sound and scenery.Afte...
Setouchi Relaxation Films
The word "Setouchi" is said to refer to the climate and culture created by the Seto Inland Sea, the first national park ...

しかし撮影は天候に左右され、再生回数も安定しない。
それでも私は、YouTubeで成功する夢を諦めることはできませんでした。

その夢を支えてくれたのが Uber Eats という働き方です。

2022年にUber Eatsを始めた理由は、とてもシンプルでした。

YouTubeを続けるために、天候に合わせて働ける仕事が必要だったからです。

  • 撮影予定日が晴れでも雨でも問題ない
  • 仕事の時間を自由に調整できる
  • 心身のストレスが少ない
  • 最低限の生活費を確保できる
  • 人間関係で消耗しない

これほどYouTubeと相性の良い働き方は他にありません。

私はUberの合間に撮影に行き、編集し、また配達へ出て、少しずつチャンネルを積み上げてきました。

結果的にYoutubeでの成功はできていません。しかし、諦めてはいません。

だからこそ、心のどこかで「次のステージに進まなければ」という焦りが膨らんでいました。

きっかけは、GPTに何気なく聞いたひと言でした。

「Uber Eatsのような働き方で、他に何かできる仕事はありますか?」

返ってきた答えのひとつが、“Airbnb体験のホスト”

最初は「自分がツアー?できるのか?」と疑いましたが、
GPTと話すうちに、私がこれまで積み重ねてきたものが一本化されていくのが見えました。

  • ベネッセハウスミュージアムと家プロジェクトでの勤務経験
  • 撮影者としての観察力
  • 海外で暮らした経験
  • 英語でのコミュニケーション
  • 元スタッフだからこそ語れる裏話

これら全てが、「ツアー」という形の中でひとつに結びついていったのです。

2017〜2018年、私は ベネッセハウスミュージアム家プロジェクト(Art House Project)に勤務していました。

当時、ベネッセハウスミュージアムでは毎日17時から館内ツアーが行われており、日本語版と英語版がありました。

私が担当していたのは 日本語版のミュージアムツアーです。
月に3回ほどの担当ではありましたが、作品の意図、建築、作家の思想、鑑賞動線――
多くのことを学び、言葉として人に伝える責任を経験しました。

この経験が、いまAirbnb体験を作る上で大きな“土台”となっています。

さらに、美術館勤務時代には普通は見られない“裏側の瞬間”にも立ち会いました。

  • Jean-Michel Basquiatの作品である「Gua-Gua」が自然光を浴びながら移設されるという極めて稀な場面
  • 直島ホールで開催された島民と関係者だけが参加できる限定イベント
  • 南寺(家プロジェクト)で、ある著名人ファミリーを案内した忘れられない日

私はそのインテリアデザイン科の卒業生として、長い年月を越えて、思いがけない形で速水先生と再び出会うことになりました。

それは、私が直島でベネッセハウスミュージアムに勤務していた 2018年2月頃 のこと。
坂出市の画廊で開催されていた速水先生の個展を訪れた際、先生ご本人から 1989年に直島に設置された作品 について直接お話を伺う機会がありました。

  • なぜ直島に作品が置かれたのか
  • 当時の島の空気
  • 直島アートが“まだ何も始まっていなかった時代”の裏側
  • 作品が生まれた背景や意図

それらは、教科書には決して載らない “生の歴史” でした。

そして、母校と速水先生、直島という三つの点がひとつにつながった時、私は「これは自分が語るべき物語だ」と強く感じました。

速水史朗・門・1989
1992年よりも以前に直島にアートが展示されていたことは知られていない。速水史朗「門」1989

出会いは海外でした。
お互いの経歴を話しているうちに、偶然にも両者が 直島に縁がある ことがわかり、一気に心の距離が縮まりました。芸術文化について深く話し合ったあの日のことは、今でも鮮明に覚えています。

私が先に帰国してからも、その縁は続きました。
メールやメッセージを通じて連絡を取り合い、当時の直島での制作のことや、作家がどのような思いで作品に向き合っていたのかを、折に触れて聞かせてもらう機会がありました。

特に印象深いのは、その作家が1994年の直島展示で発表した作品にまつわる話です。

私は後に、日本で偶然手に入れたOUT OF BOUNDSの公式記録集 を手に入れ、作者から聞いた言葉と書籍の内容を照らし合わせながら、作品の背景を深く学びました。

  • 90年代当時のコンセプト
  • 作品が挑んだテーマ
  • アートと価値の関係

これらは、単に資料を読んだだけの理解では得られない、作者本人を知っていたからこそ掴めたリアリティ でした。

現在もその作品は島の一角に残っていますが、ほとんどの来訪者はそれが“作品”であることに気づきません。

しかし私は、「誰が」「なぜ」「どういう時代に」「どんな意図で」その作品を生み出したのかを、直接知っている数少ない存在です。

この経験は、直島を案内するうえで、かけがえのない財産となっています。

Youtube撮影の際に、偶然撮れた直島の朝焼け
Youtube撮影の際に偶然撮れた直島の朝焼け。この写真の中に私のツアーの秘密が隠されている。
  • 映像撮影者として直島の“光の秘密”を発見したこと
  • YouTubeで瀬戸内の景色を世界に届けてきたこと
  • ベネッセハウスミュージアムでのツアー経験
  • 直島アートの“前史”に触れたこと
  • 草創期の作家と出会って本人から話を聞いたこと
  • 海外生活で培った英語と異文化の感覚
  • そして瀬戸内で生きてきた時間のすべて

この全部が、自分にしかできないツアーの根拠になっている。

そう確信した時、迷いは消えました。

直島に降り注ぐ朝日の光。護王神社から撮影。
直島の東部から見ることのできる朝日。1年に2回しか見ることのできない太陽光がもたらす芸術鑑賞とは?

そしてAirbnbによる審査は一度で合格。

YouTubeも続けています。
ブログも書き続けます。
Airbnb体験もこれから磨いていきます。

50歳を迎える今、私はようやく「自分の道はここにある」と思えるようになりました。

もしこの記事を読んで心が少しでも動いたなら、ぜひ直島でお会いしましょう。

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