私は49歳で、思いがけない道へ踏み出すことになりました。
それは “アートの島・直島を案内するAirbnb体験ガイド” という仕事です。
始まりは小さな会話からでしたが、気づけばYouTube、Uber Eats、直島での仕事の経験が一本の線でつながり、自分でも驚くほど自然にこの挑戦へ向かっていきました。
YouTubeに挑み続けた日々と、立ち止まれなかった気持ち
私は数年前から、瀬戸内の景色や自然音を撮影した映像をYouTubeで発信してきました。
規模としては控えめなチャンネルではあるものの、「自分の人生を変えたい」「世界の誰かに瀬戸内を感じてもらいたい」という思いで続けてきました。
しかし撮影は天候に左右され、再生回数も安定しない。
それでも私は、YouTubeで成功する夢を諦めることはできませんでした。
その夢を支えてくれたのが Uber Eats という働き方です。
Uber Eatsという“合理的な選択”——YouTubeを続けるために必須だった働き方
2022年にUber Eatsを始めた理由は、とてもシンプルでした。
YouTubeを続けるために、天候に合わせて働ける仕事が必要だったからです。
- 撮影予定日が晴れでも雨でも問題ない
- 仕事の時間を自由に調整できる
- 心身のストレスが少ない
- 最低限の生活費を確保できる
- 人間関係で消耗しない
これほどYouTubeと相性の良い働き方は他にありません。
私はUberの合間に撮影に行き、編集し、また配達へ出て、少しずつチャンネルを積み上げてきました。
結果的にYoutubeでの成功はできていません。しかし、諦めてはいません。
だからこそ、心のどこかで「次のステージに進まなければ」という焦りが膨らんでいました。
GPTとの会話が、私の人生を大きく動かした瞬間
その「次のステージ」が、まさかAirbnb体験になるとは思いもしませんでした。
きっかけは、GPTに何気なく聞いたひと言でした。
「Uber Eatsのような働き方で、他に何かできる仕事はありますか?」
返ってきた答えのひとつが、“Airbnb体験のホスト”。
最初は「自分がツアー?できるのか?」と疑いましたが、
GPTと話すうちに、私がこれまで積み重ねてきたものが一本化されていくのが見えました。
- ベネッセハウスミュージアムと家プロジェクトでの勤務経験
- 撮影者としての観察力
- 海外で暮らした経験
- 英語でのコミュニケーション
- 元スタッフだからこそ語れる裏話
これら全てが、「ツアー」という形の中でひとつに結びついていったのです。
私が直島を案内できる理由——元ベネッセハウスミュージアムスタッフという経験
私がAirbnb体験を直島でやりたいと思った最大の理由は、直島が私の人生に深く根付いている場所だからです。
2017〜2018年、私は ベネッセハウスミュージアムと家プロジェクト(Art House Project)に勤務していました。
当時、ベネッセハウスミュージアムでは毎日17時から館内ツアーが行われており、日本語版と英語版がありました。
私が担当していたのは 日本語版のミュージアムツアーです。
月に3回ほどの担当ではありましたが、作品の意図、建築、作家の思想、鑑賞動線――
多くのことを学び、言葉として人に伝える責任を経験しました。
この経験が、いまAirbnb体験を作る上で大きな“土台”となっています。
さらに、美術館勤務時代には普通は見られない“裏側の瞬間”にも立ち会いました。
- Jean-Michel Basquiatの作品である「Gua-Gua」が自然光を浴びながら移設されるという極めて稀な場面
- 直島ホールで開催された島民と関係者だけが参加できる限定イベント
- 南寺(家プロジェクト)で、ある著名人ファミリーを案内した忘れられない日
これらの経験は、ガイドブックに載っている情報とは“次元が違う”リアルなものです。
直島アートの“前史”を知るという強み——速水史朗先生との特別なご縁
私が直島アートの“前史”を深く知ることになったのは、偶然ではありません。
実は、香川県を代表する彫刻家である速水史朗先生は、私の母校である 香川県立善通寺西高等学校インテリアデザイン科 の創設に関わった重要人物です。
私はそのインテリアデザイン科の卒業生として、長い年月を越えて、思いがけない形で速水先生と再び出会うことになりました。
それは、私が直島でベネッセハウスミュージアムに勤務していた 2018年2月頃 のこと。
坂出市の画廊で開催されていた速水先生の個展を訪れた際、先生ご本人から 1989年に直島に設置された作品 について直接お話を伺う機会がありました。
- なぜ直島に作品が置かれたのか
- 当時の島の空気
- 直島アートが“まだ何も始まっていなかった時代”の裏側
- 作品が生まれた背景や意図
それらは、教科書には決して載らない “生の歴史” でした。
そして、母校と速水先生、直島という三つの点がひとつにつながった時、私は「これは自分が語るべき物語だ」と強く感じました。
このご縁は、直島アートの前史を語れるごく限られた存在 として、私のAirbnb体験に大きな説得力を与えてくれています。

もうひとつのアートの記憶——作品の“作者と交流した経験”が教えてくれたこと
私が直島アートを語る上で欠かせないもうひとつの縁があります。
それは、1994年に直島で展示された、あるコンセプチュアル・アート作品の作者と交流を持ったこと です。
出会いは海外でした。
お互いの経歴を話しているうちに、偶然にも両者が 直島に縁がある ことがわかり、一気に心の距離が縮まりました。芸術文化について深く話し合ったあの日のことは、今でも鮮明に覚えています。
私が先に帰国してからも、その縁は続きました。
メールやメッセージを通じて連絡を取り合い、当時の直島での制作のことや、作家がどのような思いで作品に向き合っていたのかを、折に触れて聞かせてもらう機会がありました。
特に印象深いのは、その作家が1994年の直島展示で発表した作品にまつわる話です。
私は後に、日本で偶然手に入れたOUT OF BOUNDSの公式記録集 を手に入れ、作者から聞いた言葉と書籍の内容を照らし合わせながら、作品の背景を深く学びました。
- 90年代当時のコンセプト
- 作品が挑んだテーマ
- アートと価値の関係
これらは、単に資料を読んだだけの理解では得られない、作者本人を知っていたからこそ掴めたリアリティ でした。
現在もその作品は島の一角に残っていますが、ほとんどの来訪者はそれが“作品”であることに気づきません。
しかし私は、「誰が」「なぜ」「どういう時代に」「どんな意図で」その作品を生み出したのかを、直接知っている数少ない存在です。
この経験は、直島を案内するうえで、かけがえのない財産となっています。

だから私は思った──「これは自分にしかできないツアーかもしれない」
GPTと話しながら、私はこれらの経験がひとつの意味を持ってつながっていくのを感じました。
- 映像撮影者として直島の“光の秘密”を発見したこと
- YouTubeで瀬戸内の景色を世界に届けてきたこと
- ベネッセハウスミュージアムでのツアー経験
- 直島アートの“前史”に触れたこと
- 草創期の作家と出会って本人から話を聞いたこと
- 海外生活で培った英語と異文化の感覚
- そして瀬戸内で生きてきた時間のすべて
この全部が、自分にしかできないツアーの根拠になっている。
そう確信した時、迷いは消えました。

驚くほどのスピードでAirbnb体験が完成した理由
構成を作り、写真を準備し、文章を練り上げ、Airbnbに提出したのはほんの数日の出来事でした。
そしてAirbnbによる審査は一度で合格。
人は、本当に進むべき道に立つと、驚くほどのスピードで動けるものなのだと知りました。
最後に:この記事を読んでくれたあなたへ
私はまだ、この挑戦の“最初の1歩”を踏み出したばかりです。
YouTubeも続けています。
ブログも書き続けます。
Airbnb体験もこれから磨いていきます。
50歳を迎える今、私はようやく「自分の道はここにある」と思えるようになりました。
もしこの記事を読んで心が少しでも動いたなら、ぜひ直島でお会いしましょう。
あなたの旅の記憶に、少しだけ特別な光を灯せたら嬉しいです。


コメント