はじめに
リクルート本社で「英語が必要だ」と痛感した私は、生まれ故郷の香川県へ戻り、“英語に関わる仕事”を探し始めました。
しかし、当時の地方都市では、英語を使う職場はほとんどありません。それでも「海外とつながる企業なら学びがあるはず」と思い、県内に本社を置く東証一部上場の製造メーカーで働くことにしました。
電車の中で育てた“英語脳”
この頃から、通勤電車での読書が習慣になりました。使っていたのは「絵で見る英語BOOK」シリーズ。
中学レベルの文法をイラストで説明する内容で、文法よりも“イメージで理解する”ことを重視した教材でした。
ページをめくるたびに、頭の中で場面が浮かび、そのイメージに合わせて自然に英語が出てくる。
今思えば、私が後に外国人と話すときに感じる“英語の感覚”は、この本で培ったものかもしれません。
私の英語に対する考え方はシンプルです。
英語はイメージで覚えるもの。
これが、今でも変わらない私の持論です。
広報としての提案と成長
私が求人サイトの中から見つけ出した職種は、総務部の広報課。
オウンドメディアである自社ホームページの中で、総務部が担当しているページの更新やブログの更新などが主な業務でした。
ある日、自社ホームページを見ていると、採用ページだけが時が止まったようなデザインでした。
私は先輩社員にこの採用ページの現状を聞いてみると、広報も人事も課題だと感じていたようでしたが、忙しさと人手不足で誰も手をつけられない状態だったのでしょう。
そこで、広告制作の経験を活かして、私から「採用ページを一新しませんか?」と提案しました。
人事部の反応は「待ってました!」という感じで、すぐにプロジェクトが動き出しました。
ありがたいことに、私が派遣社員であっても、上司は私に企画を任せてもらえ、同僚と一緒に東京や名古屋への出張も経験しました。
短期間ではありましたが、「自分の提案で何かを変えられる」――そう感じた貴重な時間でした。
アメリカ人社員との出会い
社内には、アメリカ出身の正社員が一人いました。彼は広報担当で、社内の国際対応を進める役割を担っていました。
当時の私の英語力は中学英語レベルで、身振り手振りを交えて話すのがやっとでしたが、彼はとてもフレンドリーで、相撲やアメフトの話題でよく盛り上がりました。
印象的だったのは、彼が自ら「English Lunch」という英会話ランチを社内で企画したこと。
私も勇気を出して参加しましたが、他の社員たちの英語力が高すぎてまったくついていけず、情けなさと悔しさでいっぱいになりました。
それでも、その体験が「もっと英語を話せるようになりたい」というモチベーションにつながったのです。
雇い止め、そして“英語漬け”の日々へ
約1年2ヶ月が経った頃、世界的な円高が進み、輸出企業だったそのメーカーは業績への影響を受け始めました。新卒採用を優先するため、派遣社員の契約を順次終了することになり、私にも雇い止めの知らせが届きました。
もちろんショックでした。
しかし、失業手当を受けられる6ヶ月間が「英語だけに集中できる時間」になったのです。
その半年間、私の生活はまるで留学をしたかのようでした。
朝から晩まで、リーディング・リスニングを繰り返し、少しずつ英語のリズムが頭に染み込んでいく。振り返れば、あの時間こそが僕の“英語脳”の土台を築いた期間でした。
半年間の“英語留学”のような日々
雇い止めを告げられた後、私の生活は一変しました。
お金はありませんでしたが、時間だけはありました。その時間をどう使うかで、この先の人生が変わる気がしていました。
そこで私は、「TOEIC Listening & Reading公式問題集」を10冊ほど購入しました。
図書館の静かな机に向かい、毎日ひたすらリスニングとリーディングを繰り返しました。
ある日はポータブルCDプレーヤーで音声を聞き、またある日はリーディング問題だけを黙々と解く。
まるで自分だけの留学しているかのような時間でした。
勉強場所は、香川県内の図書館や学校の自習室を転々としました。
坂出市や飯山町の図書館、宇多津町にある短期大学の図書館、善通寺市にある大学の図書館、そして高松市の専門学校の自習室。
空いている席を見つけては、イヤホンを耳に差し込み、英語の世界に沈み込みました。周囲は高校生や大学生ばかり。誰とも話さない一日が続くこともありましたが、不思議と孤独ではありませんでした。
「この時間を未来に変えるんだ」と信じていました。

実践に役立ったリスニングPart2
TOEICの中でも特に効果を感じたのがリスニングPart2でした。
短い質問と3つの返答から正しいものを選ぶ形式で、実際の会話に近いリズムがあります。
このPartを理解できるようになると、日常会話の受け答えがぐっと楽になるのです。
半年間の独学の結果、TOEIC Listening & Readingのスコアは645点に到達しました。
独学でここまで上げられたことは、私にとって大きな自信となりました。
「努力すれば結果が出る」――その実感が、後に直島の美術館で外国人スタッフと働く勇気につながっていきます。
まとめ
この頃の私は、英語を仕事で使っていたわけではありません。
それでも、地方の大企業で自分の力を試し、英語を通して「表現する力」を磨いた時間でした。
そして雇い止めをきっかけに、ようやく「英語を本気で学ぼう」と決意することになります。
次回のVol.3では、半年間の独学を経て、私が初めて“英語を使う仕事”として挑んだ直島の美術館勤務についてお話しします。



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